【鴻巣市】御成町の気になるのぼり。東照宮を見に行ってみた。
鴻巣市御成町を歩いていると出会うこの「東照宮」ののぼり。
東照宮といえば、徳川家康公を祀る神社。日光東照宮のようなお社をイメージします。ですが、鴻巣市のこのあたりにそのような神社があった記憶がないのです。よくみると、建物の間の細い通路の奥にもう一本のぼりが見えます。
こんな細道の奥に神社があるのか、疑念を抱きながら、通路を進んで行きます。手前にも薄くはなってしまっていますが、「東照宮入口」の石碑があります。
路地の奥には、確かに鳥居と祠がありました。鳥居の背も低く、頭を下げてくぐらなければいけないほどです。
鴻巣教育委員会の看板が立っていました。徳川家康公が、鴻巣市の鷹狩りに訪れる際に、宿泊する「鴻巣御殿」がこのあたりにありました。その後も二代将軍秀忠、三代将軍家光も毎年のようにこちらの御殿を使用していたそうです。最後に使用されたのは、寛永7年(1630年)頃、明歴3年(1657年)に発生した江戸大火で、その資材は江戸城へと運び込まれました。残された建物も使用されることはなく、朽ち果ててしまったことで、元禄4年(1691年)に、鴻巣御殿は東照宮を祀り、除地となったそうです。鴻巣御殿が先にあり、跡地に東照宮ができたということですね。
鴻巣御殿とはどんなものだったのか、それは鴻巣市市民活動センターに模型が展示されています。
鴻巣御殿の様子は、「江戸図屏風」(国立歴史民族博物館蔵)でうかがえるそうです。また、御殿が廃止された頃に作成された「鴻巣御殿目録」なども併せて参考にし、100分の1の大きさで再現されているそうです。
長い間、鴻巣御殿の跡地の比定地もわかっていなかったが、調査の結果、平成6年(1994年)に一部を確認することができ、JR高崎線沿いから、中山道までだったのではないかと想定されているそうです。
路地裏の小さな東照宮に訪れてみたら、思いがけず鴻巣市の歴史のロマンに触れることができました! ぜひ小さな東照宮に立ち寄ってみてくださいね!
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